ファミレスで、うるさい子供が隣に座ったら

生活の中で

先日、ディナーを食べるために、デニーズにて一番奥の席に大人4人で座った時である。

しばらくして若い母親とまだ学校に行っていないような女の子2人と男の子1人、若い母親の母親、つまり子供たちのおばあちゃんの5人が すぐ隣の席に座った。

案の定、それまで楽しかった我々のディナータイムは戦場と化した。
子供達はキャー、キャーと奇声を発し、テーブルの上の物を叩き、母親は大声で叱り、おばあちゃんは、しつけという名の下、孫を遠慮なく引っ叩く。

途端に我々大人4人は無言になった。私の前に座っている私の姉の表情はと言うと、苦虫を噛み潰したような苦渋の顔になり、口を閉じたままになって、笑顔は何処かに消えていた。

となりの爆発的な騒音は我々の食事が運ばれて食べている間もずっと続き、私は早くここを出ようと考えていた。

その時、私の隣に座っていたT君が、ハンバーグを食べ終えた後、店員を呼び、チョコレートパフェそれも、一番大きいやつを注文したのだ。

しばらくして店員によりチョコレートパフェが宙を舞うように運ばれて、T君は美味しそうに食べ始めた。

不思議なことだが、T君のチョコレートパフェが運ばれてくるやいなや、隣の家族連れは静かになり、T君がパフェを食べ終わる頃には、自分たちの注文した料理を食べ終わると、そそくさと帰って行った。

そして、おもむろにT君が言った。

『うるさい子供がいるときには、パフェを頼むといいんだよ。』

『え、どうして?』

私の質問に対して、T君の説明は以下のものであった。

『子供はパフェを食べたい。でも食べれない、なぜなら兄妹が多いので、経済的に無理であることを子供ながら理解しているんだ。
パフェは、別の世界の食べ物だ。決して頼んではいけないものなんだ。とでも自分に言い聞かせているのかも知れない。自分の境遇について少なからず理解しているんだ。
親達は親達で、パフェは自分の世界には存在してはいけない存在だ。子供には見せてはならないものである。と考えているんだよ。』

そんな心の中の葛藤があったかどうかはわからないが、事実、隣の家族は静かになり、逃げるように帰ったのである。

ここで断わっておかなければならないことはT君は隣に座った家族を上から目線で見たり、偏見を持っている訳ではないということである。

人は社会的な動物であると学校で習った。

社会の中で、無意識的に自分の分というものを把握し、立ち位置を認識し、その枠の中で生きるように自分に言い聞かせているのではないか。

あの社会的にはまだ幼児の域を出ない子供でさえ、よく言えば自分というものをわきまえているし、悪く言えば小さくまとまってきているのである。

だから社会構造自体は大きくは変わることはないのではないか。

ただ自分の位置を把握していない、または 把握したくない人が枠を越えてヒエラルキーを上昇していくのではないだろうか?

だが、大体の人はただそこに居る。変えようとしないし、変わろうとしないのである。
自分に与えられた場所から動くことは、とても勇気がいることだからである。

動いて良くなるとわかっていても、慣性の法則が邪魔をするのである。

勉強をしてグンと伸びる生徒がいる。塾ではいつも80以上取れるのだが、しかし、学校のテストになると半分も取れない。

テスト恐怖症の場合があるが、まれにであるが、伸びようとする自分を自分自身で引き下げようとすることがある。

クラスでの立ち位置。自分は大体この点を取る人間だ。と思い込んでしまっている。

そういう場合は意識改革をする必要がある。簡単に言えば自信をつけさせることだ。何か1つでいいから、突破口を作り、そこからどんどん伸ばすようにすることだ。

話が少し逸れたが、人は小さい時から強い社会的認識を植えつけられているということだ。

T君の行動はそういう人の奥底にある心理を把握した作戦である。

T君の機転のきいた行動に

『どうして、そんなことを考えたの』

いつもながら感心して驚きの声を挙げている自分がいる。

20近い年下のT君にまたしても脱帽である。

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